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​beginning

わたしがフォトグラファーである理由と信念

 

 

自分の幼少期はあまり思い出したくない。強情で意固地で天邪鬼な子供だった。人間が怖くて同世代の人たちが近づいてくると泣き出し、じーちゃんを困らせた(私はじーちゃん子であった)。子供達の輪に入って仲良く遊ぶことができなかった。保育園にも年中から入った。園でもひとり遊びが好きだった。クラスメイトと上手く付き合えず女の子を泣かせたりもした。

 

自分だけの世界が大事だった。風のストライプ、森の土、夜明け前の虹色の空気。山の向こうに広がる世界を想像して空ばかり眺めていた。メーヴェや筋斗雲で山を越え、向こうの世界をこの目で見届ける日を夢見ていた。生まれた場所ではない世界を知る度、どんどん自分のいる場所が嫌いになっていく。自分の中にある大事な世界と、現実に感じるモヤモヤした気持ちを、誰も分かってはくれないと思っていた。分かち合いたいとも思わなかった。呆れるほどわがままな人間だった。そんな私にじーちゃんがつけたあだ名は、あんみつ姫だ。

 

4年生の時、じーちゃんの「写ルンです」というインスタントフィルムカメラを初めて触った。じーちゃんはカメラをたしなむ人で、分厚いアルバムに私や妹の写真を、今見返してもモダンで躍動感あふれるカッコいいレイアウトで残してくれていた。私は空を撮った。写真屋で現像してもらったフイルムに写っていたのは、朝が始まる前の、夜が始まる前の、グラデーションだった。三十三間山の隙間から昇り、小浜湾に向かってV字を描く野木川の向こうへ沈む、小さく真っ赤な太陽だった。自分の眼でシャッターを切って心に焼き付いていただけの世界が、なんと手のひらの中のフィルムに焼き付いていた。この世界を誰かと共有することが可能になったのだ。分かち合えなくてもいいことばかりだった自分にも、こんなにも伝えたい思いがあると知る。言葉にしなくては表現しなくては伝わらないと思い知る。

 

言葉。私はある歌と出会う。自分を客観的に振り返る行為は、14年間の人生で初めてだった。自分らしさの檻の中でもがいているのは僕だってそうだと囁かれ、世界と繋がった気がした。自分はひとりではく世界は広いんだと知る。彼らの音楽は私の心の恩人だ。彼らはレジェンドバンドであるがそこはちょっと置いておき、自分にできることでいつか恩返しがしたいと密かに思っている。

 

見返した時、背中を少し押せる。そんな写真を撮りたいと思う。かつて、じーちゃんがそうしてくれたように。私のことを全身全霊で肯定し、美しく残してくれた。美しさと構図やピントや解像度だけではない。アルバムを見返せば私は自分をこんなにも肯定できる。あまり思い出したくない幼少期も、それほど悪くなかったんじゃないか、なんて思わせてくれる。お客様にとってのこんな一枚を、私も残したいのです。兄のような存在の人がこう言ってくれました。あなたはどんな時もやさしくあたたかな眼で世界をみている。きっとそれが私の強みかもしれないと思っています。

 

ロックスターのようにメッセージをこの世に響かせることはできなくても、前に進めるマインドを、作品で、背中で伝えられればと思う。世界は美しいと伝えたい。そしていつかあのバンドにも届いてくれるといいな。それを励みに走り続けます。

今日も隣のお客様に、どうか喜んでもらえますように。

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